園家山にまつわる民話
園家千軒が栄えていた頃、すぐ近くの西の方に大島千軒と村椿千軒があって、合わせて三千軒もある大都市で、「この町はやがて天子様の都になるのだ」と町の人たちは話し合っていた。
ところが、ある夜のこと、大津波が押し寄せてこの町を一呑みにし、あとに砂丘ができた。
この悲しい出来事も遠い昔の物語となって、砂丘が美しい松林でおおわれた頃、ここに善称寺というお寺が建てられた。
その頃、誰言うことなく「この砂丘の下には美しい乙姫様の住んでいる龍宮がある」といううわさが立った。
ある年のこと、善称寺の報恩講のときに大勢のお客様を招待したが、お膳やお椀はお寺にあるだけでは足りないので、奥様はあれこれと思い悩んだ末、砂丘の下の龍宮様へお願いしようと紙切れに、「龍宮様、どうぞお客様25人前をお貸しくださいませ」と書いて、夕暮れの黄昏時にこっそり、ここぞと思う松の根元において返った。
翌朝、薄暗いうちに行ってみると、昨夜の紙切れがなくなってなんと目にも覚めるような美しい龍宮のお客膳が25人前きちんと揃えておいてあった。
その日の夕方、お講が終わってから奥様は御礼の手紙を添えて元の松の根元において返った。
翌朝行ってみると、お膳がなくなって、紙切れだけが残っていた。
翌年の報恩講のときも龍宮からお客膳を借りた。
その次の年も貸してもらった。
こうしたことが何十年も続いたのであった。
ところがある年のこと、お講が終わっていざ借りたものを返そうとすると、どうしたものかお椀が1つ見えない。
上を下への大騒ぎをして隅から隅まで探したが、どうしても見当たらないので、仕方なく、よく似たお椀を1つ足してそっと夕暮れ方に松の根元へ返しておいた。
翌朝、おそるおそる行ってみると、松の根元に例の紙切れと返したはずのお椀1つが、折からの雨に濡れて取り残されていた。
このことがあってから龍宮では、善称寺の報恩講にはどれほどお願いしても、お膳もお椀も貸してくれないようになった。
そればかりか、ちょっとしたお詣りごとがあっても、善称寺のお詣りごととなると、きっと雨が降った。
「龍宮様のお怒りだ。龍宮様が雨にのって、なくなったおわんを探しにいらっしゃるのだ」と今もなお、尚言い伝えている。
間もなく善称寺は東狐に移り、門徒も増えたが、今でも報恩講のときには必ず雨が降るという。